命と関わる経営 〜老舗ディープテック企業に学ぶスタートアップ経営〜
登壇者:協和キリン株式会社 代表取締役 会長CEO / 薬学博士 宮本 昌志 氏
ファシリテーター:ON&BOARD Tech Executive. 竹内 悠貴 氏
開発パイプラインの評価において、NPVや成功確率などはどのように算出・判断されているのでしょうか。
ポートフォリオの管理には、縦軸に「成功確率」、横軸に「開発コスト」、そしてバブルの大きさで「NPV」を表す3軸の図を用いています。
ただ、これは計算式だけで決まるものではなく、かなり「鉛筆をなめる(感覚的な調整を加える)」世界です。例えば成功確率は、フェーズ1なら何%といった業界標準をベースにしつつ、「今回は手応えがあるから少し色をつけよう」といった調整を行うことがあります。開発コストやNPVについても、市場シェアの予測などあらゆるデータを入れ込みますが、あくまで見込みです。
最終的には、数字だけでなく「自分たちの得意領域(骨・ミネラル、血液がん等)に合っているか」、そして「当社が掲げるVision(Life-changingな価値を患者さんに届けること)・コアバリューに合致するか」といった定性的な判断も組み合わせて、投資のアクセルを踏むか、あるいは撤退するかを決定しています。
御社は「希少疾病(レアディジーズ)」に注力されていますが、なぜメガファーマを目指さず、この領域を選んだのでしょうか。
経営戦略的な観点に特化してお話ししますと、自分たちの「サイズ感」に最適な市場だからです。メガファーマが狙うようなブロックバスター(超大型薬)市場は競争が激しすぎます。一方で、希少疾病領域は患者数が少ないため、市場規模は10億〜20億ドル(数千億円)クラスです。
我々の主力製品である「クリースビータ(くる病治療薬)」は、2025年は2,100億円の売上を見込んでおりますが、この規模だと、何兆円も稼ぐ必要があるメガファーマは触手を伸ばしにくい一方、売上5,000億円規模の我々にとっては十分に利益が出る「ちょうどいい市場」なのです。
もしメガファーマになろうとすれば、借金をしてでも巨大な買収をする必要がありますが、我々は無理な急拡大よりも、自分たちのサイズで勝てる領域で、安定的に患者さんに価値を届けることを重視しています。メガになると成長率の維持が難しくなりますが、我々はまだ成長を目指せるフェーズにいたいと考えています。
自社のリソースを超えるような大型薬の場合、どのように対応しているのでしょうか。
例えば、アトピー性皮膚炎を対象に開発している「KHK4083(ロカチンリマブ)」が良い例です。これは自社で生まれた抗体医薬ですが、アトピー市場は競合が激しく、フェーズ3試験にはグローバルで3,300人以上の患者さんを集める必要があり、莫大な投資がかかります。
我々のサイズ感でこれを単独でやると、何かイレギュラーが生じれば他のことが何もできなくなるリスクがあります。そこで、アムジェン社とコラボレーションし、彼らの資本力とリソースを活用することで開発を進めました。自分たちで戦える規模と、パートナーの力を借りるべき規模を明確に区別しています。
かつてのアムジェン社とのJV(ジョイントベンチャー)は「50:50」の比率でしたが、一般的に難しいとされるこの形態がなぜ成功したのでしょうか。
正直、50:50は意思決定が難しく、通常はお勧めしません(笑)。しかし、キリン・アムジェンのケース(1984年設立)が成功したのは、設立当時アムジェンがまだ創業4年目のスタートアップだったこと、そしてお互いが「患者さんに価値を届ける」という目的で完全にアラインできていたからです。
両社で開発費を出し合い、利益を配分するシンプルな構造でしたが、成功の鍵の一つは「チェンジ・オブ・コントロール条項」でした。これは、もし片方が他社に買収された場合、残った方がJVの全権利を買い取れるという契約です。アムジェンが敵対的買収の危機に瀕した際、もし買収されたらドル箱であるJVの権利がキリンに移ってしまうため、買収側が手を出せなくなり、結果的にアムジェンを守る防波堤の役割を果たしました。35年後に解消しましたが、お互いが成長し、自由にグローバル展開するために発展的に解消したもので、今でも特別な関係です。
具体的なスタートアップとの連携事例について、いくつか教えてください。
自社製品の多くは外部連携から生まれています。いくつか例を挙げます。
Ardelyx(アーデリックス)社:腎臓領域の低分子薬「テナパノル」を導入しました。当時、この会社の株価は低迷していましたが、サイエンスと作用機序が非常に面白く、我々が日本での開発・販売権を取得しました(現在、フォゼベル錠として協和キリンが日本国内で販売中)。我々との提携が信用となり、彼らの株価回復にも寄与しました。
InveniAI(インベニAI)社:2018年からAI創薬で協業しています。網羅的解析によるターゲット探索を行っており、我々の研究者が彼らのプラットフォームを使いに行くなど、深いレベルで連携しています。
Synaffix(シナフィックス)社:次世代の抗体技術であるADC(抗体薬物複合体)において、特定の部位に薬物を結合させる技術のライセンスを受けています。
Orchard Therapeutics(オーチャード・セラピューティクス)社:昨年約700億円で買収しました。造血幹細胞を用いた遺伝子治療のプラットフォームを持っており、薬価が4億円する「リブメルディ」などの製品があります。技術基盤ごと取り込むことで、新たな創薬の可能性を広げています。
ライセンス導入やM&Aの際、DDで特に警戒する「レッドフラグ」はどこにありますか。
パブリックな情報では「良さそう」に見えても、実際に深く入ってみると「効果は高いが、FDAが気にするような副作用が出ている」といったケースがあり、これは大きなレッドフラグになります。
また、「本人は先頭を走っているつもりだが、周りの研究者や市場からは評価されていない」「他社が全く違うアプローチで先行している」といった情報は、現場に行き、人と話さないと見えてきません。データだけでなく、担当者が信用できるかという人間的な信頼関係も最終的な判断材料になります。
グローバル展開において、米国の薬価政策(最恵国価格など)のリスクをどう見ていますか。
トランプ政権が言及していた「最恵国価格」のような政策には強い危機感を持っています。これは、米国の薬価を、GDPが高い国々の中で最も安い価格(例えば日本)に合わせるというものです。
米国のバイオ医薬品市場は世界の利益の大半を占めています(7〜8割)。もし米国の価格が強制的に下げられるなら、製薬企業は米国での利益を守るために、「価格の安い日本市場では薬を上市しない(販売を取りやめる)」という判断をせざるを得なくなります。そうなれば、日本に新薬が入ってこなくなる「ドラッグ・ロス」が深刻化するため、動向を注視しています。
最後に、強い経営チームを作るために取り入れている手法があれば教えてください。
CXO・役員レベルのチームビルディングのために、プロの「チームコーチ」を入れています。週に1回、4時間の時間を確保し、元プロラグビーチームのコーチ経験者に入ってもらい、経営チームとしての議論や関係構築を行っています。
シリコンバレーの「1兆ドル・コーチ(ビル・キャンベル)」の話が有名ですが、専門性の異なるメンバーが真のチームになるためには、第三者のコーチが投げるボール(問いかけ)が非常に役立っています。これから組織を作るスタートアップの方々にも、チームコーチの導入はお勧めしたい手法です。
研究者やスタートアップへのアドバイスとして「患者さんを見る」ことの重要性を説かれていましたね。
はい。研究者はどうしても「病気」や「分子メカニズム」に没頭しがちですが、最終ゴールは「患者さんの笑顔」です。
例えば、当社のパーキンソン病薬は、薬効としては「動ける時間を増やす」ものですが、患者さんが実際に動けるようになるには、日頃からリハビリや運動をして筋肉を維持していなければなりません。薬理作用で神経伝達が改善しても、筋肉がなければ動けないのです。そこまで想像力を広げ、「ボクササイズの動きを取り入れる」といったトータルケアまで考えて初めて、患者さんの生活を変えることができます。薬を作るだけでなく、その先の生活まで見据えた開発をしてほしいと常に伝えています。
